「二次元ヒーロー」第一話

狭苦しく散らかった四畳間を橙色に照らす夕陽の薄明かりの下で、幼い永吉は母親と額を付き合わせ、お互いに見詰めあっていた。


場が侘しくさえなければ一見、微笑ましい母子のスキンシップの様に見える画だ。しかし、我が子を見つめる母の目は真っ赤に充血し、呼吸は口角から泡や涎が吹き出る程に荒く、その全身は脂汗にまみれ、そして小刻みに震えている。傍らの年期が入ったちゃぶ台の上には、アルミホイルにのせられた白い粉やろくに洗浄をしていないであろう注射器、ガスの残量が殆ど無い100円ライターなどが、至極乱雑に置かれている。



「あんたはロックスターになるのよ!
そしてあたしを大金持ちにしてくれるのよ!」



母は突如空を仰いで叫んだ。母の額という支えを失った永吉は、受け身をとる事も出来ず無様に茶ばんだ畳に倒れ込み、そのままピクリとも動かない。



「なのに!何で!何で!何で!何で!何であんたはお金を稼いでこないのよぉぉぉ!」



永吉の目の前に、突如大量の星が散った。
元々出来が良くない上に栄養失調で糖分と電解質が足りない永吉のおつむは、それが殴られた衝撃によるものだと認識するのに暫し時間を要した。口の中にじんわりと広がる鉄の味に眉をしかめていると、霞む視界の隅に何かを口ごもりながらちゃぶ台を持ち上げようとする母親の姿が映った。



「バカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにしてバカにして」



……うっすら差し込んできた朝日の中で、永吉は母親が発していたうわごとが自分の寝言である事に気がついた。眼前にはあの頃よりも小綺麗ながら、やはりどこか薄汚れた天井が広がっている。寝汗のすえた臭いが鼻をつく。



「また嫌な夢を見る様になっちまった…。」

どこぞのアニメで聞いた様なセリフが、、口をついて出た。


※※※※※※※※※※※※※※※


声優・愛生永吉。


彼は1970年代の初めの頃、東京都練馬区の区営住宅で、誰からもその生誕を祝福される事無くひっそりと生まれた。生年が曖昧なのは幼少期の彼とその母にとって、単にそれが無意味な物だったからだ。今彼の戸籍に記されている生年月日は、彼が物心ついた頃に入れられた養護施設の所員が、至極適当に後付けしたものである。


万物を恨みがましい視線でねめつける目、低く潰れた鼻、劣悪な養育環境の中で出来上がった細い手足&突き出た腹……永吉は、子供だてらに彼の母親が持っていた「人に嫌われうる負の因子」を全て受け継いでいた。そして、本来友人となるべき子供達から、本来支えとなるべき養護施設の職員達から、本来保護者となるべき里親達から、「ゴミ」「豚」「補助金」などと呼ばれ、蛇蝎の如く疎まれた。




そんな彼の心の支えとなったのが「アニメ」であった。とりわけ、そんなアニメのキャラを魅力的に演じる「声優」なる、顔が見えない人達の神秘性に、永吉は強く興味を引かれた。そうだ。俺だってアニメのキャラになれれば人に好いて貰える。不細工だからアイドルやタレントにはなれないけれど、声だけの声優なら何とかなる筈だ。


無根拠な自信にほだされた永吉の行動はやたら早かった。中学を卒業したその日から日雇いのバイトで学費を貯め、声優業界最大手事務所の一つ・ブルーアークの付属養成所に入所したのだ。只でさえどうしようもない容姿の者が数多く集う声優養成所に於いて尚、永吉の拭い様の無い負のオーラは際立っていた。彼が居る処の半径二メートル以内には、生徒達はおろか講師さえ近付こうとしなかったが、永吉に悲壮感は微塵も無かった。一人ぼっちには慣れっこだったからだ。


そしてその三年後。事務所所属への審査会議の場で永吉のプロフィール用紙を一瞥したマネージャーは、溜め息とも苦笑いともつかぬ吐息を漏らした。根暗・中卒・醜男。幾ら芝居が出来ようと、幾ら声に艶があろうと、どだい声優として大成できよう筈がないこういう素材が、毎年必ず居るものだ。こいつは何をどう勘違いして、声優になろうなどと思ったのだろう。マネージャーは永吉のプロフィール用紙を、「不採用」と殴り書きされている段ボールの中に放り込んだ。しかしその前日、5万円で買った女子高生とのセックスに明け暮れていたマネージャーの手元は、致命的……否、ある意味運命的とも言える狂いを生んだ。




「あれ?相川は?」


ぺラッぺラの背広姿で新所属の挨拶にやって来た永吉の姿を見て、マネージャー達は一様に「しまった!」という顔をした。彼らは元々「相川崇」なる中途半端に端正な顔立ちの男を引っ張り上げてオタク女相手にチョロく一山当てようとしていたのだが、どうも選考の際にプロフィール用紙を取り違えてしまったらしい。別に相川程度の素材など幾らでも居るからそいつを取り逃がした事自体は惜しくも何ともないのだが、いち企業として不良債権を抱えてしまった事は何ともバツが悪かった。マネージャー達は早くも、今後こいつをどう干して事務所から追い出すかに思いを馳せ始めた。



その隣室では、ブルーアーク系列の音響製作会社の関係者達による、次クールに放映されるアニメのキャスティング会議が行われていた。内容は有り体なロボットアニメで、アニメをオモチャやプラモデルを売る為のプロモーションフィルムとしか考えていないスポンサーからの無茶振りの波状攻撃に、監督をはじめとしたスタッフらのモチベーションは下降の一途であった。そして事ここに至り、音響製作会社サイドから「主役にはブルーアークの新人を起用せよ」とのお達しが下ったのである。作品をより良くする為の会議の場が一転して不毛で剣呑とした空気に飲み込まれきった頃、五十音順に薄く積まれた雑魚声優共のプロフィール用紙を指差し、監督が口を開いた。


「どーせ誰使っても一緒なんだから、この履歴書の一番上に積んであるやつ使えばいいじゃん」





収録初日。髪はボサボサ、眉毛は繋がり、総身からカビ臭とも体臭ともつかぬの不快な芳香を漂わながら現れた永吉の姿を見て、スタッフ達は一様に「やっちまった!」という顔をした。


この日、生まれついての忌み子は二次元ヒーローへと生まれ変わったのである。


その経緯はともかくとして。


05/23 01:38

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