「講師」第8話

「政治結社?」



朝倉香の自殺から一週間後。
代表者・佐藤達夫を筆頭とした佐藤事務所付属養成所・一心塾関係者五名の個人情報漏洩事件は、思わぬ展開を見せた。匿名掲示板に情報が曝された翌日、蒼極会という政治団体のホームページのトップに、匿名掲示板で曝された物と全く同じ情報と、一心塾の放漫経営を糾弾する文章が掲載されたのである。


「訓告」と題されたその文章は「一心塾なる声優養成所はいたいけな少年少女とその親を相手にアコギな商売をしていてけしからん云々」という、既に匿名掲示板では言い尽くされている内容に始まり、「関係者には近日中に必ず社会的制裁を加える」といささかおっかない文言で締めくくられている。何で政治ヤクザが声優プロダクション如きを槍玉に上げるのか…といぶかしがる石井の目に、文末に添えられた「青井貞三」なる代表者の名前が留まった。



「ウチの養成所にいる青井良人の父親ですね」



傍らで田中が青井良人のプロフィール用紙をひらひらかざしながら言った。青井は朝倉の自殺以来レッスンに顔を出していない。元々いけすかない、得体の知れない奴だと思っていたが、よもや政治ヤクザの息子だったとは。



「生徒に聞き込みを行ったところ、この青井と自殺した朝倉薫が生前交際していた事が判明しました。」



ああ。知っているとも。そしてそれを知った江藤がトチ狂って起こした騒ぎが、恐らくは朝倉の自殺のきっかけになった事も。
石井は30年の芸歴の中で培った、その割には貧弱な役者としてのノウハウを脳内でフル稼働し、つとめて平静を装った。



「そういや赤井さんの容態はどうなんだ?」

「何でも病院で意識不明になってるそうで」


多分数日中に死ぬだろう。
哀悼の気持ちなど微塵も沸かないが。


※※※※※※※※※※


この日の帰り際。
石井は練馬警察署に呼び出されていた。



「お母様が食い逃げをなさいまして」



「食い逃げ」という間抜けな罪状と「なさる」という敬語が妙なコントラストを織りなすこの警察からの電話を、石井はパチンコ屋で受けていた。回転寿司屋で十二皿もの寿司を平らげたバカ母は無銭飲食を咎められた途端駄々っ子の様に倒れ込んで泣き喚き、しょっぴかれた先の警察署で身元引受人として自分の名前を挙げたのだという。


「くびり殺してドブ川に放り込んでおけ」という台詞が喉元まで出たが、仮にも自分は役者だ。タレントだ。ここで妙ないざこざを起こせば後々の活動に差し支える。知名度皆無の声優がポリ公相手にケチな小競り合いを起こしたとて別にどうという事はないのだが、石井のこの過剰な自意識と妙なプライドは、結果としてバカ母を救う事になった。


これから正に確変というタイミングで興を削がれた石井は、怒り心頭の面持ちで署の待合室に現れた。殺風景な個室には、毛糸のほつれが目立つ毛玉だらけのセーターを着たバカ母と、満面に怒気を滲ませた飲食店の店員らしき男、さらには「やる気」という言葉を思春期に置いて来たのであろう無気力な表情の警察官がいた。



「あらよしひろちゃん。いやね、お昼にお寿司食べたんだけれど、お財布おウチに忘れちゃったのね。だのにこの人達ったら怖い顔しちゃって警察なんか呼んで…」


「忘れたってアンタ、財布ん中にニ百円しか入ってなかったじゃないかよ!」



石井の顔を見るや否や機関砲の如く言い逃れを始めるバカ母に、傍らの男が血相を変えて言い放った。警察官は質の悪いシャブでもキメているかの如く静かだ。



「だから言ってるじゃない!ちゃんと支払うつもりだったって!」


「嘘つけ!ハナからそんな様子なんか無かったじゃないか!」


「そんな事ないわよぉぉ!
何でそんな事言うのよおおお!」



真っ向から対立する言い争いを、石井は至極覚めた目で見つめている。というのも、このバカ母には常日頃から小学生の小遣い程度の金額しか持たせていない。まとまった金を渡すとすぐにあるだけ使ってしまうからだ。つまり元より寿司など食える筈が無い事は承知の筈だったのだ。


それにしても最近、バカ母の行動がこと極端に短絡的になってきた。目先の食欲を理性で制御できずチンケな食い逃げに走り、それでいてそれを咎められたならば稚拙な言い訳を重ねて追い込まれ、挙句泣く。


最早幼児以下の動物だ。畜生だ。ならば、それをしつける方法は一つしかない。




石井は無言でバカ母に歩み寄ると、鼻っ柱目掛けて思い切り鉄拳を叩き付けた。バカ母は文字化困難な奇妙なうめきを挙げ、パイプ椅子から崩れ落ちる。そして石井はバカ母の様子をみやる事なく、呆気に取られた表情の寿司屋に恐ろしく平坦な声で「申し訳ありませんでした」と言った。



「あ、終わりました?じゃあ、こっちで手続きありますんで。」



皆余程手を焼かされたのか、コンクリートの地面に突っ伏して呻くバカ母を気遣うものは誰も居ない。その場にいる警察官さえもだ。


今はこの警察官のやる気のなさがただただ有難かった。


02/16 04:29

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